無目的書庫

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“浦和の男”で始まり、“浦和の男”で終わったNo.13

2003年のナビスコカップ決勝。兵庫県北部の田舎。
祝日で何気なくサッカー中継を観ていた少年次代の自分。
ブラウン管には、当時黄金時代を迎えていた鹿島アントラーズ
華麗な攻撃的サッカーで完膚なきまでに打ち破った浦和レッズの姿があった。

 


浦和レッズ初タイトル!ナビスコ杯優勝 VS鹿島アントラーズ (2003) - YouTube


彼のサッカー熱は前年のワールドカップ日韓大会で爆発し、
スパサカやべっちFCYahoo!ニュースで海外のサッカー情報を毎日毎日貪るように観ていた。
そろそろ代表戦ばかりでなくJリーグも見てみるか、どこのチームを応援してみようか?など色々考えていた。
そんな折、少年はこの1試合で浦和レッズに魅了されサポーターとなった。

 

 

2002〜2007年当時の浦和レッズは黄金時代。
生え抜きが順調に育つ中で、他チームの一流のスパイスが加わりメンバーも豪華だった。

GK 山岸範宏都築龍太
DF 山田暢久田中マルクス闘莉王坪井慶介堀之内聖細貝萌・ネネ・室井市衛
MF 山瀬功治長谷部誠鈴木啓太三都主アレサンドロ酒井友之・ポンテ
   小野伸二平川忠亮相馬崇人阿部勇樹
FW エメルソン・マリッチ永井雄一郎田中達也・ワシントン・黒部光昭岡野雅行


毎週末が本当に楽しみで仕方なかった。
彼らのサッカーは本当に華麗で、一つ一つのプレーにワクワクした。
瞬く間に常勝軍団になり、リーグ・ナビスコ杯・天皇杯ACLと立て続けにタイトルを獲得していった。


ACL FINAL 第2戦 浦和レッズ(urawa) 2 VS 0 セパハン(sepahan ...


その中心に鈴木啓太は常にいた。
彼のストロングポイントは、相手のチャンスを潰す危機察知能力。
豊富な運動量。高いキャンプテンシー。
浦和レッズの攻撃的サッカーは、彼の献身的なボランチとしての仕事があったからだと言っても過言ではない。
事実、リーグ優勝を遂げた2006年とACLを制した2007年にはJリーグベストイレブンにも選出されている。

 


自分は鈴木啓太に関して一つ鮮明に残っているシーンがある。

彼が、アテネ五輪U-23日本代表候補であった時期のこと。
非常にドラマチックな展開となった中東での最終予選。彼はキャプテンマークを巻き、チームを鼓舞し続けた。
結果として、日本代表はアテネ五輪本大会に出場。

 


しかし鈴木啓太はそこにいなかった。
オーバーエイジとして複数名の選手が新規で選ばれる中で、
最終予選を主将として牽引した鈴木啓太は無情にもメンバー落選となったのである。
浦和レッズからは、闘莉王田中達也が選出。
2人は、記者会見で「こいつらの分も頑張ってくる」と山瀬功治鈴木啓太のユニフォームを見せた。

 

本大会の日本代表は、パラグアイ・イタリア・ガーナ相手に1勝2敗でグループリーグ敗退。
たらればを言うつもりはないがあの場に鈴木啓太がいれば・・・。
と思ったことは何度もあった。

 

 

 

そして、2015年11月22日のラストマッチ。彼は久々のベンチ入りも出番は無かった。
試合後の退団セレモニーは長年活躍した鈴木啓太への温かい気持ちで一杯であった。

 

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(セレモニー挨拶文)※原文ママ
たくさんの方に支えられた16年間。浦和レッズの選手としてプレーできたことを本当に誇りに思っています。
ありがとうございました。16年前、このクラブと契約した日のことを忘れることはできません。
あの日から浦和レッズの一員としての人生が始まり、たくさんの素晴らしい選手たち、
たくさんの素晴らしい人と一緒にサッカーをすることに恵まれました。

 

僕は上手な選手ではありません。
自分自身のプレーにいら立つこともたくさんありましたが、
それでも、チームのため、仲間のため、浦和レッズの勝利のために走り続けて来たことは、僕のプライドでした。
We are REDSを叫び、一緒に戦ってくれたサポーターの声が、苦しい時も、つらい時も、いつも僕の背中を押し、前に進むための力になっていました。本当に感謝しています。
この真っ赤に染まるスタジアムを離れる時が来てしまったことは、とても寂しいです。
でも、この場所で、リーグチャンピオンを獲り、シャーレを掲げ、アジアの頂点をつかみ、
人生で最も情熱にあふれた時間を皆と過ごすことができて最高に幸せでした。

 

ここで皆さんに報告があります。
私、鈴木啓太は、今シーズンをもって引退することを決断しました。
どうしても自分の言葉で、ファン、サポーター、仲間、クラブスタッフ、浦和レッズに関わって下さっている皆様、
僕の愛する人たちに直接伝えたくて、この場所で発表することにしました。
サッカー少年がプロサッカー選手として成功することを夢見て静岡から出て来ましたが、

いつからか“お前は浦和の男だ”“俺たちは鈴木啓太だ”と認めてもらえたことが本当にうれしかったです。
誇らしかったです。
僕の心には、浦和以上に愛せるチームがありません。
だから僕は、プロサッカー選手として“浦和の男”で始まり、“浦和の男”で終わります。
16年間、本当に大きな声援、大きな愛情をありがとうございました。まだシーズンは続きます。
もう1度チームとして全力で戦いますので、皆さんの熱いサポートをよろしくお願いします。
きょうはありがとうございました。


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【スピーチ】浦和レッズ 鈴木啓太選手 退団セレモニー - YouTube


レッズを最後まで愛し、そしてレッズサポーターに最後まで愛された永遠のダイナモ
“浦和の男”で始まり、“浦和の男”で終わったNo.13。


長いこと楽しいサッカー見せてくれて本当にありがとうございました!