無目的書庫

駆け出しスポーツライターの書置場です。

イッテンヨンの希望とイッテンゴの刹那

ここ2年の新日本プロレスは主に4人のレスラーを中心に、
戦いが繰り広げられた。


百年に一人の逸材       棚橋弘至
レインメーカー        オカダ・カズチカ
キングオブストロングスタイル 中邑真輔
フェノメナール・ワン     A.J.スタイルズ


みな、現役ながらもプロレス史に名を残すレスラー。

今の新日本プロレスは所属レスラーではないフリー参戦を含めると、
50人を超える大所帯である。
最近の興行では前述した4人をメインに据え、
その他の選手がアンダーカードを務める形式が多い。
※誤解が無いように申し上げると総じてレベルは高く、
ベテランレベルだと誰をメインにいてもおかしくない状況である。


凄く簡単に説明するとAKBのようなものである。


新日本プロレスにおける、年間最大のビックマッチ“イッテンヨン”
今年も死ぬほどレベルの高いプロレスが繰り広げられた。

 

本大会のメインイベントはオカダ・カズチカvs棚橋弘至のIWGPヘビー級選手権。
国内最高峰といっても過言ではない同ベルトを、
新日本最高の黄金カードで争うシチュエーション。

凄いとかっていう言葉で片付けられない。
35分を超える試合はおそらく現時点で世界最高のプロレス。

棚橋の大ファンである自分としては本当に悔しかった。
でも、オカダが勝ったことでホッとしている自分もいた。

オカダの試合後のマイク。

 

外道「わかってたろ、オイ!! わかってただろ、オイ!! この男しかいねぇんだよ、オイ!! この男しかいねぇだろ、オイ!! 新日本プロレスをさらに上に導く男! 新日本プロレスを世界に連れて行く男! プロレス界をまだ行ったことねぇ所に連れて行く男、レインメーカーしかいねぇんだよ、オイ。もう誰1人、レインメーカーを止めることはできねぇ。なんでかわかるか、オイ!?・・・・・・レェェェベェルが違うんだよ、コノヤロー!『WRESTLE KINGDOM 10』の最後はこの男の言葉で締めてもらおうか。プロレス界の未来を担う男にして、IWGPヘビー級チャンピオン、“レインメーカーオカダ・カズチカだよ」

オカダ「みっつ、言わして下さい! ひとーつ! 棚橋さん、IWGPは・・・・・・遠かったらな、俺もここまで追い詰められてないよ。強かったよ、棚橋さん! またやろうぜ!ふたつ! 俺が勝ったということは、新しい新日本プロレスを、これから見して行ってやる。新日本プロレスを、もっと上のステージに俺が連れてってやる。みっつ! ・・・・・・特にありません。と、言いたいけどな、まだまだ俺が新日本プロレス、どんどん上げてやるよ!! 2016年も、俺から目をそらすなー!!」

少し時計の針を巻き戻す。
4年前のイッテンヨン。オカダはメインイベント終了後に棚橋にマイクアピール。
しかし、絶対的エースの棚橋を相手に、
何の実績もないオカダが宣戦布告したことで、
ファンからは大ブーイングを食らった。


あれから、たった4年で団体の最高峰に上り詰めたオカダ・カズチカ
彼は新日本プロレスだけじゃなく、名実ともにプロレス界の希望となったのである。

 

2年前に遡る。

私はプロレス初観戦の友人達と春の両国大会をLIVE観戦していた。
その当時、新日本プロレスは前述したオカダvs棚橋が一つのピークを迎えており、
なかなかそれに変わるカードを生み出せずに苦しんでいた。

「今回はええけど、次のシリーズどうするよ・・・。真壁も内藤も微妙にしっくりこねえし・・・。」
という感覚で、ファンとして若干の不安を感じていた。


そこに突如として現れたのが、 A.J.スタイルズ
プロレスの本場アメリカで、とてつもない実績を残してきたスーパースターが
新日本プロレスにやってきたのである。


その後の彼は最高の存在であった。
ヒールユニット・バレットクラブに加入し、
高いレスリング技術とスター性で棚橋&オカダの宿敵として何度も
王者として彼らの前に立ちはだかった。


彼は本当にプロレスが上手い。
一度生で彼のプロレスを観た時は、
ロープワークから技の応酬まで文句の付け所がないパーフェクトすぎる内容であった。


別れというのは刹那的なものでる。
イッテンヨンで中邑真輔と異次元のプロレスを繰り広げた翌日の興行。


彼は試合終了後、突如として仲間であるバレットクラブの襲撃に合い、
その後チームを追放。


最後にリングの四方へ挨拶をしてセルリアンブルーのマットを去った。



その後知ったのだが、
彼がWWEに移籍するらしいという報道があった。



色々とガテンがいった。
彼のトレードマークであるグローブのマークが珍しくバレットクラブになっており、
最後の四方への一礼もそうだったのかと・・・。



自分でも反省した。
何でもっと全力で今の試合を観なかったのかと。


そもそもA.J.スタイルズがレギュラー参戦していたことが奇跡だったことを忘れていた。
人は当たり前だったことが突如なくなると寂しくなるものである。


三田佐代子さんのツイートも強烈に心に刺さった。

 

本当にありがとう。
Good luck!A.J.Styles

 

 

Phantom Pain of PRIDE

発表カードがどうにも心に刺さらなかったり、
なんやかんや迷っていたが、『RIZIN』地上波観戦をした結果、
色々思うことがフツフツと湧いてきた。

 

 


今回の年末格闘技イベントは、今までと若干変則的で
『RIZIN(ライジン)』は、
本日29日の「SARABA(さらば)の宴」と
大晦日の「IZA(いざ)の舞」の2日間で試合を開催するというもの。

 

 


その中で、今日開催された『SARABAの宴』は
8年前にその幕を下ろしたMMAイベント『PRIDE』をしっかりとケジメをつける。
これまでの日本格闘技の歴史に区切りをつける1日というコンセプトがあったわけである。

試合結果は公式サイト(http://www.rizinff.com/saraba/)を見ていただくとして、
かつて中学高校時代に、PRIDE末期からDREAM終焉までを追いかけていた
イチMMAファンとして思うことがあったので文を起こしてみた。

 

 


オープニングの演出で、Rage Against The Machine'sのGuerrilla Radioで選手が入場、
DREAMを振り返る音楽が流れたと思えば、
まさかまさかのPRIDEの公式テーマソングと和太鼓。
どうやってUFCとの権利関係をクリアしたのかが、非常に気にかかるサプライズ開幕。
ここらへんで、懐古心大爆発の自分は「あれ、案外アリじゃね?」と考えていた。

 

 

 


カード全体の印象は、かつてのPRIDEの平常興行カードという感じ。
オープニングを飾った高阪剛選手は本当にカッコ良かった。
ラグビー日本代表の件も重なり、世界のTKは健在であった。

 

 

個人的には、所英男vs才賀紀左衛門はなかなか見応えがあった。
かくいう自分は、所英男選手のかねてからの大ファンで、
『RIZIN』を観ようと思ったのも彼が出場することになったからであった。


演出面でも、わざわざフジテレビで所選手を「TBSが産んだスター」というキャッチコピーで紹介するあたりに、佐藤大輔氏の「煽りV」の真骨頂が出ていたのは流石である。


試合内容は、元々K-1ファイターで打撃専門の才賀選手が、
予想以上にMMAに適応しており、
ファイトスタイルは往年のミルコを髣髴とさせる雰囲気すらあった。
気づけば、SNSで大炎上していた才賀選手嫁の応援のやかましさで、
高クオリティの内容がかき消されたのは本当に残念。

 

 

 

 

 

 

本題は、ここからである。
メインを飾ったのは、桜庭和志vs青木真也
90年代後半からゼロ年代初頭にかけて日本のスターであった桜庭和志
かたやPRIDE崩壊後からDREAMまでのゼロ年代後半を牽引した青木真也


PRIDEの最終回としてはこの上ないカードであった。


佐藤大輔氏の「煽りV」からの、
ウルフルズの『バカサバイバー』からの、
小室哲哉の『SPEED TK RE-MIX』と演出面も全てが揃っていた。

 

 

 

 

 


問題は結末であった。


今の時代、何かしらの救いを求めて娯楽を求める中で、
このコンテンツが生きていけるとは思えない結末であったのだ。


煽りVの中で、青木選手が話していた言葉。

 

「やっぱ、どこまで行っても愛なのさ。愛なんだよ。だって、MMAってスポーツは裏切られるんだから。新日本プロレスはハッピーエンドで帰してくれる。ハッピーエンドで帰れないんだよ。泣いて帰るんだから、ファンが。」 



これに、かつて雑誌『kamipro』で紹介されていた、
「圧倒的現実」というPRIDEを象徴するキーワードが絡まり、
いよいよ自分はこのコンテンツに恐怖を感じた。

 

 

 

 

 

 

そして、この興行。
何一つとして時計の針が動いていなかったのだ。
極めつけは、青木選手が五味隆典選手との来年の対戦をマイクで要望した点である。

 

「桜庭さん、本当にありがとうございました。まだ僕、桜庭さんの代わりになれないです。
だからまだ桜庭さんの試合が見たいので、引退しないでください。
またグラップリングよろしくお願いします。
おい社長、俺、このリングでまだやることあるの分かってるよな。
このリングで来年、青木vs五味やらなきゃダメだよな。押忍」

 


自分「いや、違うだろ。」


地上波で何がしたいんだと思ってしまった。
まだそんなPRIDEの幻想を引きずるのかと。
ケジメをつけるんじゃねえのかと。

 

 

 

 


結局明らかになったのは、
今現在におけるメイド・イン・ジャパンのMMA興行の限界であったのだ。


自分は今でもMMAが好きだし、PRIDEもDREAMも大好きである。
しかし、それに頼り続けても生まれるモノは何もない。
PRIDEの幻影を振り払い、10年、20年かかろうともUFCと双璧を成す、
新たなメイド・イン・ジャパンMMAの文化を作るべきなのでは無いだろうか。


いきなり、地上波に行かなくてもいいじゃないですか。
MMAに負け、地に落ちた新日本プロレスは企業努力で這い上がり新たな文化を構築した。
『RIZIN』にはチャンスが有る。
大晦日も含めて、今後の興行で未来につながるMMA文化を作って欲しい。

 

 

 

 

 


最後に一連の『RIZIN』タイムラインで、一番心に残ったツイートを紹介します。

 

“浦和の男”で始まり、“浦和の男”で終わったNo.13

2003年のナビスコカップ決勝。兵庫県北部の田舎。
祝日で何気なくサッカー中継を観ていた少年次代の自分。
ブラウン管には、当時黄金時代を迎えていた鹿島アントラーズ
華麗な攻撃的サッカーで完膚なきまでに打ち破った浦和レッズの姿があった。

 


浦和レッズ初タイトル!ナビスコ杯優勝 VS鹿島アントラーズ (2003) - YouTube


彼のサッカー熱は前年のワールドカップ日韓大会で爆発し、
スパサカやべっちFCYahoo!ニュースで海外のサッカー情報を毎日毎日貪るように観ていた。
そろそろ代表戦ばかりでなくJリーグも見てみるか、どこのチームを応援してみようか?など色々考えていた。
そんな折、少年はこの1試合で浦和レッズに魅了されサポーターとなった。

 

 

2002〜2007年当時の浦和レッズは黄金時代。
生え抜きが順調に育つ中で、他チームの一流のスパイスが加わりメンバーも豪華だった。

GK 山岸範宏都築龍太
DF 山田暢久田中マルクス闘莉王坪井慶介堀之内聖細貝萌・ネネ・室井市衛
MF 山瀬功治長谷部誠鈴木啓太三都主アレサンドロ酒井友之・ポンテ
   小野伸二平川忠亮相馬崇人阿部勇樹
FW エメルソン・マリッチ永井雄一郎田中達也・ワシントン・黒部光昭岡野雅行


毎週末が本当に楽しみで仕方なかった。
彼らのサッカーは本当に華麗で、一つ一つのプレーにワクワクした。
瞬く間に常勝軍団になり、リーグ・ナビスコ杯・天皇杯ACLと立て続けにタイトルを獲得していった。


ACL FINAL 第2戦 浦和レッズ(urawa) 2 VS 0 セパハン(sepahan ...


その中心に鈴木啓太は常にいた。
彼のストロングポイントは、相手のチャンスを潰す危機察知能力。
豊富な運動量。高いキャンプテンシー。
浦和レッズの攻撃的サッカーは、彼の献身的なボランチとしての仕事があったからだと言っても過言ではない。
事実、リーグ優勝を遂げた2006年とACLを制した2007年にはJリーグベストイレブンにも選出されている。

 


自分は鈴木啓太に関して一つ鮮明に残っているシーンがある。

彼が、アテネ五輪U-23日本代表候補であった時期のこと。
非常にドラマチックな展開となった中東での最終予選。彼はキャプテンマークを巻き、チームを鼓舞し続けた。
結果として、日本代表はアテネ五輪本大会に出場。

 


しかし鈴木啓太はそこにいなかった。
オーバーエイジとして複数名の選手が新規で選ばれる中で、
最終予選を主将として牽引した鈴木啓太は無情にもメンバー落選となったのである。
浦和レッズからは、闘莉王田中達也が選出。
2人は、記者会見で「こいつらの分も頑張ってくる」と山瀬功治鈴木啓太のユニフォームを見せた。

 

本大会の日本代表は、パラグアイ・イタリア・ガーナ相手に1勝2敗でグループリーグ敗退。
たらればを言うつもりはないがあの場に鈴木啓太がいれば・・・。
と思ったことは何度もあった。

 

 

 

そして、2015年11月22日のラストマッチ。彼は久々のベンチ入りも出番は無かった。
試合後の退団セレモニーは長年活躍した鈴木啓太への温かい気持ちで一杯であった。

 

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(セレモニー挨拶文)※原文ママ
たくさんの方に支えられた16年間。浦和レッズの選手としてプレーできたことを本当に誇りに思っています。
ありがとうございました。16年前、このクラブと契約した日のことを忘れることはできません。
あの日から浦和レッズの一員としての人生が始まり、たくさんの素晴らしい選手たち、
たくさんの素晴らしい人と一緒にサッカーをすることに恵まれました。

 

僕は上手な選手ではありません。
自分自身のプレーにいら立つこともたくさんありましたが、
それでも、チームのため、仲間のため、浦和レッズの勝利のために走り続けて来たことは、僕のプライドでした。
We are REDSを叫び、一緒に戦ってくれたサポーターの声が、苦しい時も、つらい時も、いつも僕の背中を押し、前に進むための力になっていました。本当に感謝しています。
この真っ赤に染まるスタジアムを離れる時が来てしまったことは、とても寂しいです。
でも、この場所で、リーグチャンピオンを獲り、シャーレを掲げ、アジアの頂点をつかみ、
人生で最も情熱にあふれた時間を皆と過ごすことができて最高に幸せでした。

 

ここで皆さんに報告があります。
私、鈴木啓太は、今シーズンをもって引退することを決断しました。
どうしても自分の言葉で、ファン、サポーター、仲間、クラブスタッフ、浦和レッズに関わって下さっている皆様、
僕の愛する人たちに直接伝えたくて、この場所で発表することにしました。
サッカー少年がプロサッカー選手として成功することを夢見て静岡から出て来ましたが、

いつからか“お前は浦和の男だ”“俺たちは鈴木啓太だ”と認めてもらえたことが本当にうれしかったです。
誇らしかったです。
僕の心には、浦和以上に愛せるチームがありません。
だから僕は、プロサッカー選手として“浦和の男”で始まり、“浦和の男”で終わります。
16年間、本当に大きな声援、大きな愛情をありがとうございました。まだシーズンは続きます。
もう1度チームとして全力で戦いますので、皆さんの熱いサポートをよろしくお願いします。
きょうはありがとうございました。


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【スピーチ】浦和レッズ 鈴木啓太選手 退団セレモニー - YouTube


レッズを最後まで愛し、そしてレッズサポーターに最後まで愛された永遠のダイナモ
“浦和の男”で始まり、“浦和の男”で終わったNo.13。


長いこと楽しいサッカー見せてくれて本当にありがとうございました!

昭和と平成の境界


2015年11月15日。プロレスファンのにとって一つの時代が幕を閉じました。


ミスタープロレス天龍源一郎さん(以下、敬称略)の引退でございます。

 


最近バラエティ番組でのご活躍が目立っておりましたが、
日本プロレス史に神のごとく君臨する
ジャイアント馬場アントニオ猪木の両氏から
唯一ピンフォール勝ちしている日本人レスラーとして、
65歳となった今でも第一線でご活躍されておりました。


ONE PIECEで例えるなら、白ひげのような存在として
プロレス界に君臨する「生ける伝説」ですね。

 


今年の頭に11月での引退宣言をされた時には、
まあ年齢のこともあり「いよいよか」とだけ思っておりましたが、
8月頃にとある事件が起こりました。

 


引退試合の相手が、
現役バリバリのIWGPヘビー級王者 オカダ・カズチカに決定したのです。


彼は業界一の団体・新日本プロレス所属の27歳。
プロレス人気復権の立役者と言われており、抜群の身体能力とスター性で、
これからのプロレス界全体を背負って立つ存在と言われています。


2013年末にプロレス大賞2連覇の席でオカダ選手が、
「猪木・鶴田・天龍は僕と同じ時代じゃなくて良かったですね。」
と昭和の名レスラーを貶める発言をしていたことに
「ふざけんじゃねえぞ!」と天龍さんが憤り、
今年8月の新日本プロレス「G1 CLIMAX25」優勝決定戦に乱入。
以下はその際のやり取り。

 

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(天龍)
「オイ、新日本! 俺の引退試合の相手を決めるんじゃないのか? 
 ハッキリせいや!」
(外道)※レスラー兼オカダ選手のマネージャー
「天龍さん、レインメーカー待ちですか? 
 レインメーカーが出るまでもねえ! 答えはノーだ!」
(天龍)
「オイ、昭和のプロレスを味わう最後のチャンスだぞ?」
(外道)
「アンタの功績は認めるが、これはアンタのためなんだよ!」

(オカダ)
「天龍さん、引退されるそうですね。お疲れさまでした! 
 天龍さんにひとつだけ言わせてください!僕と同じ時代じゃなくてよかったですね!」
(天龍)
「オイ、アンちゃん! 吐いた唾は飲み込むなよ、コノヤロー!」
(オカダ)
「天龍さん、11月15日、どうなっても知らないですよ?それでもいいならやりましょう!」
(天龍)
「よく言ったオマエ!俺はその日まで楽しみに一生懸命に身体、鍛えてやるよ」

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ということで、65歳の伝説的レスラーと27歳の若手レスラーが
1対1のシングルマッチでぶつかるという
前代未聞の事態になったわけです。


ファンのワクワクは最高潮。
その一方、天龍さんは今年の初めから何度も手術をしており、
「まともにやったら天龍がリング上で死ぬんじゃねえのか・・・・。」
試合決定後の気持にそんな感じがあったのは否めませんでした。

 


そしてそれから3ヶ月。
天龍とオカダ両氏による誌面での舌戦が繰り広げられる中、
ついに当日を迎えました。


まずは、外道を従えてIWGPヘビーのベルトを巻いたオカダが登場。
場内は珍しく大歓声とブーイングが入り交じる。


そして、おそらく最後になるであろう「サンダーストーム」が
場内に鳴り響き、天龍が入場。
50年以上に渡る格闘技人生が醸すオーラは別格でしたね。


いよいよ運命のゴング。


黒のショートタイツで新時代に立ち向かう天龍。
正直、歴戦の戦いで食らってきた攻撃で身体はボロボロでした。
しかし、隙あらば全盛期を彷彿とするグーパンチや逆水平チョップ、
パワーボムを繰り出す天龍。


それに対し、オカダも天龍に同情することなくいつもと変わらない、
いやそれ以上のドロップキックやハイフライムーブを展開。


それは確実に天龍のパワーを削いでいく。


そして必殺技レインメーカーでフィニッシュ。
海野レフェリーが3カウントで天を仰いだ瞬間の顔は忘れられません。


天龍源一郎引退試合 60分1本勝負】
×天龍源一郎
(17分27秒 レインメーカー→片エビ固め)
オカダ・カズチカ


今年一番のベストバウトであったかと思います。


3カウント後、オカダは天龍に一礼。
そして何も言わずバックヤードへ。
なんてできたレスラーだろうと思いましたよ。


以下、オカダの試合後のコメント。
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(オカダ)
「見てもらったら、わかるように!
 これが昔のプロレスといまのプロレスの違いだ。
 ああ? 技も出してねーぞ? ああ? 
 それが昭和のプロレスかわからない。
 これが昭和のプロレスかもわからない。
 もしかしたら、平成のプロレスとも違うかもしれないし。
 ただ! 年下のスゲー後輩の俺が言ってやる。天龍さんアッパレだよ! 
 それ以外はとくにありません!」
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今日の試合で、天龍源一郎は昭和プロレスを。
オカダ・カズチカはいつもの新日本プロレスを体現。


だけど、昭和だろうが平成だろうが
プロレスの根本的な面白さはどちらも共通で、
しっかりと自分の味や技を出して、しっかりと相手の技を受け止める
ものであったということが今日の試合でわかったのです。


一時期、総合格闘技の台頭でプロレスは死んだような風潮がありましたが、
いやいやそんなことはねえと。
2人はファンにそのことを再確認させてくれました。


天龍源一郎が引退しても脈々とプロレスは続いていく。
長々と書きましたが本当にお疲れ様でした!